板坂耀子先生による 「『シンプソンズ』の件。(2007.12.29)

タレントさんの吹き替え版はやはり不評のようで、早々に上映を打ち切る映画館もあるのではないかと噂されています。
字幕版の方はそれなりに客が入っているようです。私も字幕版を見ようと思っていたのですが、これは全国で二カ所(どちらも東京)しか公開されていないようです。
いろいろ事情や心情はあったのかもしれませんが…まったく不幸な結果ですね。
今からでも何かできるとしたら、声優吹き替え版の劇場上映か、せめて字幕版の上映を増やすことでしょう。
映画もアニメも見ないまま、こういう発言をしているのは私も実は不安なのです。しかし「マスター・アンド・コマンダー」の時もそうでしたが、このような問題はいつも「見てみなければわからない」と態度を保留していると、「この目で見てわかった」時にはもう完全に遅い、というのがほんとに救いのないところです。少しでもとりかえしのつく段階でどうかしようと思ったら、「信用できる人たちの発言を信じる」ことしかできない部分がどうしてもあります。これは、私が専門分野でやっている研究や教育の世界での、最初で最後の鉄則「自分で確かめたことしか信用するな」とは完全に矛盾するのですが、それでもこういう状況下では、その鉄則を曲げざるを得ません。
せめてタレント版やアニメを見てはどうかという人もいるでしょうが、これも「マスター・アンド・コマンダー」の時の苦い体験から、ある作品を鑑賞する時、作品と関係ないさまざまな感情を抱きながら見るのは、危険だし不快なことだと痛感しています。私は「マスター・アンド・コマンダー」という映画を深く愛して高く評価していますが、それでもあの映画を見るたびに、予告編で感じた嫌悪感がよみがえってきて、決して虚心坦懐に楽しめません。それもあるから、私はこんなにしつこく、あの予告編とそれを作った人の精神を憎むのです。
私はこれでも、現実にはけっこう何でも許すし忘れるしこだわりません。生きている人間や現実には寛容な方だと思います。人を責めるほど自分が完全とも思っていない。でも、その分、虚構の世界に関しては容赦しません。自分が容赦されなくてもしかたがないと思っています。「マスター・アンド・コマンダー」でも「シンプソンズ」でも、そのようなことをした人そのものはいくらでも許せるし忘れるし、親しくなれも笑いあえもしますけれど、作品に対して壊れたり傷ついたりしたイメージは回復しませんし、その原因を忘れもしません。
そういう点では、私は「シンプソンズ」という作品とは不幸な出会いをしたと思っています。「こんなかたちでも知り合えてよかった」と言えるようになるためには、細心の注意をはらって作品に近づき、触れていかなければならないと感じています。安易な気持ちで見て、たかがFOXを批判するために「いい」とか「すばらしい」とかいう評価はしたくない。
用心深すぎるかもしれないし、神経質すぎるかもしれない。でも、現実とちがう世界を作り出し、人を泣いたり笑ったりさせる作品のすべてには、皆それだけのことをしてやる価値がほんとはあるのだと私は思っています。実際にはいつもは、なかなかそうできなくて、適当に気軽に見ているにしても。
そういう作品を扱う仕事についている人たちに、そのことをよくわかっていてほしい。原子力発電所とか宇宙ロケット飛ばすなみの緊張感でいてほしい。